『海原』No.49(2023/6/1発行)誌面より
追悼 伊藤雅彦 遺句抄
少年は透明な矛盾梨の花*
連翹の黄に起こされる八十路かな*
非正規のままの定年田螺食う*
薺粥鴨長明も啜ったか*
夕焼けを使い尽くして帆が帰る
花馬酔木円錐のよう猜疑心
極月や母ゆうゆうと物忘れ
謝罪なき式辞の軽み敗戦日*
誰にともなき父の献杯敗戦日
フィレンツェの染みの取れない夏帽子
山桜桃少年真水のごと漂泊
花馬酔木母と触れ合っている言葉
白萩に向けて小さき母の椅子
葉桜の下ならふっと素になれる
路上飲みの若者の目に夏の隈
屈託の秋ジーパンの吹き曝し
芙蓉咲き言葉の多い一日です
人杖や今日は牡丹にふれるまで
鳥雲に人は心に巣箱持つ
開戦日漬物石が見当たらぬ
(伊藤巌・抄出〈*は海程秀句です〉)
雅彦さん 伊藤巌
雅彦さんが居なくなった。
雅彦さんとの付き合いはほぼ二〇年になる。それは俳句と私との付き合いに重なる。
「今が一番いい」そんな思いで過ごした俳句との時間、そこには何時も雅彦さんが居た。居るのが当たり前のように、ごく自然に……。伊藤ブラザーズなどと言われたこともあった。
数日前に会ったばかりではないか。
電話を掛けても、メールを送っても
雅彦さんが居ない……。
『奥の迷い道』は雅彦さんの本だ。
二〇〇五年、新宿の朝日カルチャー俳句教室入門科にお世話になることになった。その時、芭蕉の奥の細道を辿り歩いていたのが雅彦さんだった。
扉に「夢は実現出来る」のサインがある。
今読み返してみて、こう書けるのはやはり雅彦さんだなと、しみじみ思う。
約二〇六〇キロの道を「奥の細道」を頼りに芭蕉の跡を丁寧に辿る……。
肉棘や筋肉の痛みに足を引きずりながら、時にダンプの排気ガスに悪態をつき、雨の日も、酷暑の夏の日もひたすら歩く、その日々の記録が記されている本だ。
歩くことは自分との対話、自己を見つめる時間でもある。愚直とも思えるほどに作者は歩き続ける。夢の実現に向かってひたすら、留まることはない。時には月山の雪渓で足を滑らせ、命を危険にさらしたりして……。そして、芭蕉を想い、時に日本の現状・政治を憂い、あるいは家族を想いもする。
旅で出会った数々の温かな心遣い、親切、それは雅彦さんの人柄が引き出した贈り物のようにも思えてくる。
雅彦さんのこれまでの人生、あるいは俳句に向かう姿勢を見るような思いで、読み終えた。
雅彦さんとの小句会は私の宝だ。
花咲き急ぎ散りいそぎ 上五をどうする
さようなら 雅彦さん
〈追悼句:さようなら、伊藤雅彦さん〉
伊藤雅彦氏は、海程多摩句会と海童会に所属して句作に励んでいました。両句会のメンバーによる追悼句です(両方に参加している会員も、一人一句としました)
【海程多摩句会】
あるがまままことを生きし地の塩や 安西篤
こゑ未だ一隅にあり猫柳 ダークシー美紀
愛の日に逝く奥の細道星の径 石橋いろり
土匂う風に遠くの声聞こえ 小松敦
含羞の笑みよ漬物石よ忘れない 黒岡洋子
手冷たし律義丁寧の翁なり 田中怜子
遠望すアンドロメダ星雲「雅彦さ〜ん」 大上恒子
「雅彦さーん」呼べども呼べども春の雲 伊藤巌
雅彦さん春雲という空欄へ 宮崎斗士
薄氷や雅男の眼の透けて見ゆ 抜山裕子
風がめくる二十余年よ枝垂梅 竹田昭江
逝く友よまたも辿るや奥の細道 岡崎万寿
大辞林冬菜漬物石代り 小松よしはる
雨だれは誰のみみうち花辛夷 望月士郎
奥の細道踏破の笑顔鳥帰る 日高玲
春楡に呼ばれし詩人ハイジの丘 大髙宏允
はにかみと笑顔の記憶辛夷咲く 田中信克
温顔は彼の日の朝の白椿 平田恒子
いつもの席に『奥の迷い道』置くおぼろ 綾田節子
三つ目の春泥飛び越え他界かな 黒済泰子
沈丁花はるか虚空に流れ星 榎本愛子
白梅や句評賜わりしこと永遠に 三木冬子
「じゃあまた」が最後となった一月の駅 野口佐稔
愛妻の趣味応援の雅彦さん早春 植竹利江
こころ雅彦さんの言葉は情白つばき 芹沢愛子
いのち枝垂れて櫻花咲き誇り 田井淑江
抱かれて逝く学びし京の寒灯に 植田郁一
春連れて空寄ってくる別れなり 望月たけし
薄氷踏みて破らず逝かれしか 柳生正名
【海童会】
居るはずの優しき姿花霞 安藤久美子
鳥雲に言葉はふっと零れしまま 伊藤淳子
葦原の角組む音す友逝けり 河原珠美
設楽野の鳥の名草の名春が逝く 遠山郁好
雅彦さん鳰うつくしく啼き合いて 鳥山由貴子
きさらぎ悲し抒情の海を漕ぎ行くか 堀之内長一
白椿何も語らず逝きにけり 森鈴